The tomb of Emperor Keikou, the 12th Emeror of Japan.
道はいよいよ天理市に入ります。天理市内の山辺の道を歩くときは右のイメージキャラクタ・てくちゃん、りんちゃんが一緒です。
そこで、最初に出会うポイントは景行天皇陵(渋谷向山古墳・しぶたにむこうやまこふん、山邊道上陵・やまノべノみちノへノみささぎ)です。第11代垂仁天皇の第二皇子で第10代崇神(すじん)天皇の孫、、
神武天皇から数えて12代目の景行(ケイコウ)天皇の御陵。天理市の最南端、渋谷町に在ります。ほぼ完全な前方後円墳で、周囲には濠を巡らし3段に構築され、柳本古墳群の中では最大、全国の古墳の中でも第7位にランクされる大きさで雄大な規模を誇っています。
景行天皇は即位して11年後、ここ纏向(まきむく)に日代宮(ひしろのみや)を造ったといわれています。
また、この陵は江戸時代の終わりごろまでは第10代崇神天皇の陵とされてきたのを慶応元年に治定変更されました。実際のところ誰のお墓かは判らない訳ですが景行天皇は日本書紀に「倭国の山邊道上(やまノべノみちノへ)陵に葬りまつる」と記されているのでここに治定されたのでしょう。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 300 | 168 | 170 | 古墳時代後期 |
陵印 |
御陵の全景 |
また、景行天皇の息子では、熊襲征伐、蝦夷討伐などの武勇伝で良く知られている「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が有名です。
左側の平らな部分が前方部、右側の丸く盛り上がっているところが後円部、「前方後円墳ってこんな形ですよ。」っていう典型的な形を見せてくれています。
上に書いたようにこの御陵は全国の古墳の中で第7位の大きさ、 奈良県の古墳では 見瀬丸山古墳に次いで第2位なので、これより大きいものと付近のものを調べてみました。
順位 | 古墳名 | 全長(m) | 所在地 |
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1 | 大仙古墳(現・仁徳陵) | 486 | 大阪府堺市大仙町 |
2 | 誉田御廟山(現・応神陵) | 425 | 大阪府羽曳野市誉田6丁目 |
3 | 石津丘古墳(現・履中陵) | 360 | 大阪府堺市石津ヶ丘 |
4 | 造山古墳 | 350 | 岡山県岡山市新庄下 |
5 | 河内大塚山 | 330 | 大阪府羽曳野市南恵我之荘8丁目 |
6 | 見瀬丸山 | 310 | 奈良県橿原市見瀬町、五条野町 |
7 | 渋谷向山(現・景行陵) | 300 | 奈良県天理市渋谷町 |
11 | 箸墓 | 278 | 奈良県桜井市箸中 |
16 | 行燈山(現・崇神陵) | 242 | 奈良県天理市柳本行燈 |
20 | 宝来山(現・垂仁陵) | 227 | 奈良県奈良市佐紀町ヒシアゲ |
23 | 西殿塚(現・手白皇女) | 219 | 奈良県天理市中山町西殿塚 |
31 | 桜井茶臼山 | 207 | 奈良県桜井市外山 |