ミサンザイ古墳、百舌耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)、石津丘古墳(いしづおかこふん)、百舌鳥陵山古墳(もずりょうやまこふん)とも呼ばれます。 「ミサンザイ」は貴人の墓を意味する「みささぎ(陵)」の転訛といわれ、他にも「ミサンザイ」の付く古墳があるので、区別するために「上石津ミサンザイ古墳」と呼ばれることもあります。
この古墳は石津ヶ丘にある前方部を南に向け、面積17万平米の日本で3番目の大きさの前方後円墳です。墳丘は3段築成で、西側のくびれ部には造出しがあります。
北側の田出井山古墳(現・反正天皇陵)・大仙古墳(現・仁徳天皇陵)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその三陵の南陵として宮内庁が管理しています。
履中天皇、別名伊邪本和気命(いざほわけのみこと)は在位期間 400年 2月 1日 ~ 405年 3月15日 、
仁徳天皇と皇后・磐之媛命の長男で反正天皇、允恭天皇の兄。
ただ、考古学的には現・履中天皇陵は父の現・仁徳天皇陵(大仙古墳)より古く5世紀前半頃の築造、従って現在の比定は誤りということです。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 360 | 205 | 18.6 | 237 | 15.3 | 5世紀前半 |
周囲には陪塚と思われる七観音古墳、七観山古墳等があります。