The tomb of Emperor Hanzei, the 18st Emeror of Japan.


 第18代反正(はんぜい)天皇の陵とされています。百舌鳥古墳群の北端、有名な仁徳天皇陵履中天皇陵に比べると割りと小さな5世紀後半ごろの築造の前方後円墳です。
墳丘は3段に築かれ、今は1重の濠ですが、昔は2重だったそうです。
 江戸時代以前の伝承では「にさんざい古墳」(墳丘長290m・5世紀末築造)が反正天皇陵だったそうです。反正天皇=倭の五王の中の珍にふさわしい古墳として大きさを見るとこちらが確からしいのですが 「にさんざい古墳」も被葬者不明の陵墓参考地として宮内庁が管理してきたので発掘もされず確証はありません。
 堺市一の繁華街、堺東からすぐ近くなのに閑静な街並みに囲まれています。私は高校生の頃、毎日近くまで通っていたのですがこの御陵には一度も行った記憶はありません。 やはり世界一の仁徳陵がすぐ横にあると目立たないものですね。



規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳148761411015  5世紀後半



道標 道標 看板
電柱の道標 路上の道標 看板です


正面 後円部
前方部正面 後円部 方違神社より

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昭和初期の写真
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陵印 S16.04


反正天皇陵の続き

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