奈良県葛城市北花内
履中天皇の皇女か皇孫で、飯豊皇女、飯豊王女、飯豊女王または飯豊王(いいとよのひめみこ)等とも呼ばれる。 第22代清寧天皇と第23代顕宗天皇との間の期間、執政者だったと伝えられ、『扶桑略記』では廿四代女帝と記されて女帝の先駆的存在として注目される。 北花内大塚古墳(前方後円墳・全長90m)に比定される葛城埴口丘陵(かずらきのはにくちのおかのみささぎ)に葬られた。