15代 応神天皇(誉田別尊:ほんだわけのみこと)の陵。仲哀天皇と
神功皇后の皇子で、仁徳天皇の父。
幅60~80mの濠を持つ巨大古墳で、面積では仁徳陵についで全国第2位だが、体積では日本最大といわれてる。御陵の表面は全体が葺石でおおわれ、数万本の円筒埴輪が並べられている。
8つの陪冢(ばいちょう)があり、北へ500m行くと皇后の仲津姫命の陵墓がある。 近くの誉田丸山古墳からは「金銅製透彫鞍金具(こんどうせいすかしぼりくらかなぐ)」が出土し、現在、誉田八幡宮に収蔵されている。
誉田八幡宮の八幡とは応神天皇のことで、もともとこの神社は応神天皇陵の後円部にあったが、平安時代になって御陵に隣合う現在の場所に移された。古墳とは話題が離れるが誉田八幡宮は立派な土鈴が授与されることでも有名。
また、8つの陪冢とは東山古墳、蟻山古墳(消滅)、誉田丸山古墳、栗塚古墳、東馬塚古墳、珠金塚古墳、盾塚古墳、鞍塚古墳です。
二ツ塚古墳も陪冢に比定されていますが、誉田山古墳より以前の造営で考古学でいう陪塚とはいえません。
また、墓山古墳も陪冢に比定されていますが、こちらは独立した大型古墳と考えられます。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 415 | 256 | 36 | 330 | 35 | 188 | 35 | 5世紀初頭 |
昔の陵印 昭和16年 |
陵印 大阪府下の御陵のものがそろっています。 |
陵印 応神天皇陵 |
参道。 |
昔の写真 昭和初期 |
応神天皇陵、全体はカメラに収まりません。 |
制札です。 |
皇太子 莵道稚郎子尊 宇治墓 (うじのわきいらつこのみこと うじのはか)
陵墓印 昭和17年11月
宇治市莵道丸山 丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定
『播磨国風土記』では宇治天皇と称されている。
MOZU-FURU CARD No.01です。
誉田丸山古墳と大鳥塚古墳も左端に写っています。
2020年4月 3日入手