The tomb of Emperor Seimu, the 13th Emeror of Japan.
第13代成務(せいむ)天皇の挟城盾列池後(さきノたたなみノいけじり)陵。現・神功皇后陵より近鉄平城駅を挟んで向かい側に位置します。
また、後円部北東にある3基の方墳が陪塚と考えられています。
第12代景行(けいこう)天皇の第4皇子で、名を稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)と云い、日本書紀によれば、成務天皇の時、初めてそれぞれ地方の国県の区画を定めて、国、郡(こおり)、県(あがた)、邑(むら)のそれぞれに首長を置いたと伝えられています。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 218.5 | 132 | 19 | 111 | 16 | 古墳時代・前期 |
陵印、左側は現在、右側は昭和15年のもの
地図、左が北側です。
東隣の日葉酢姫命陵、南隣の称徳天皇陵と合わせて佐紀三陵と呼ばれています。
神功皇后陵側より近鉄越しに |
宮内庁の作った看板(制札) |
右側が成務天皇陵、左側が日葉酢姫命陵です。
こんなに接近しています。
遥拝所 |
昭和初期の写真 |