日本書紀に記載されている「壬申の乱」(天武天皇元年7月条中)に近江(大友皇子)軍と天武(大海人皇子)方が「上道(かみのみち)に当りて、箸陵(はしのはか)のもとに戦う」とあって、この頃(7C後半)も箸墓沿いを上ツ道が通っていました。
この箸墓古墳は3世紀中頃の築造であると考えられ、「前方後円墳」と言われる古墳の中では最古式の一つであると考えられています。また、邪馬台国の女王・卑弥呼(西暦247年頃死去)の墓との説で特に有名です。
上ツ道は箸墓の後円部をかすめるように通っています。 |
昔の陵印 このHP訪問の常連Iさんのコレクションです。画像をいただきました。 |
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 280 | 160 | 22 | 125 | 13 | 古墳時代・初期 3世紀中頃 |