仁徳・応神・履中天皇陵に次いで全国第4位の規模を持つ近畿以外では最大の古墳。宮内庁が天皇陵や参考地に指定しなかったおかげで(もっとも、天皇陵が吉備にあると説明できなくて困るかも)古墳の上まで登れる。
いずれにせよ4~5世紀の吉備に強大な勢力が存在したことは、この古墳を見れば明らか。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 350 | 200 | 24 | 215 | 27 | 5世紀はじめ |
岡山県の作った説明板。 |
鳥瞰図。 |
全景
左が後円部、右が前方部。
墳丘、前方部より後円部を望む。
墳丘、後円部より前方部を望む。
墳丘、前方部頂上付近。
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頂上にある長持型石棺
造山古墳より少し後の5世紀後半の物。近くの車塚古墳のものとも言われている。
→ 榊山古墳
1号 榊山古墳(円墳)、2号(方墳)、3号(円墳)、4号(円墳または前方後円墳)、 5号 千足古墳(前方後円墳)、 6号(円墳)と全部で六つの陪塚があります。
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造山古墳の土鈴
墳頂の人物は被葬者をイメージして、また前方部近くの高台には被葬者を想いながら古墳を眺めている人物を立たせました。東から朝日が昇り、西に影が延びる情景、巨大古墳の謎に思いを巡らせながらその一瞬の情景を切り取りました。
この土鈴は造山古墳ができた当時の葺石に覆われた姿を表現しました。人物は白い衣装と赤い衣装の二つのバージョンがあり、被葬者(吉備の勢力)が大和朝廷と同一勢力である場合は白色、逆に敵対勢力である場合は赤色(温羅=鬼のイメージ)です。あなたはどちらがお好みですか? また、底部の鈴口は造山古墳とともに国の史跡に指定されている陪塚の中小古墳6基を示しています。
他にも吉備の古墳土鈴がありますこちらをご覧ください。
2014年3月作品