奈良県 奈良市尼ケ辻町字西池
薬師寺から唐招提寺を過ぎて、近鉄電車をまたぎ、北に進むと濠を巡らした大きな前方後円墳が見えてきます。
第10代崇神(すじん)天皇の皇子で、、神武天皇から数えて11代目の垂仁(スイニン)天皇の御陵とされている宝来山古墳です。
前方後円墳を神仙の住む不老不死の山に因み「蓬莱山」と記し、今の地名は「ホウライ」に宝来の字を当てて、御陵の名前は宝来山古墳、その北側の辺りを奈良市宝来町と称しています。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前方後円墳 | 227 | 123 | 17 | 118 | 15.6 | 5世紀前半 |
陵印 現代 |
陵印 昭和15年 |
遠景・北側から |
遠景・南側から |
制札 |
周濠 |
戦前の写真 |
皇子 五十瓊敷入彦命 宇度墓 陵墓印 |
奥さんの日葉酢媛命(ひばすひめみこと) 陵はもっと北の佐紀路にあります。 |
田道間守の塚へ 陪塚へ |