The tomb of Emperor Keikou, the 11th Emeror of Japan.
垂仁天皇陵には陪塚がいくつか残っています。
陪塚号 | 墳形 | 大きさ(m) | 住所 | 備考 |
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い号 | 円墳 | 40 | 奈良市宝来町字堂垣内 | 兵庫山古墳 |
ろ号 | 円墳 | 奈良市平松町1丁目 | ||
は号 | 円墳 | 28 | 奈良市五条1丁目 | |
に号 | 奈良市尼辻西町 | |||
ほ号 | 方墳 | 奈良市尼辻西町 | ||
へ号 | 長方墳 | 奈良市尼辻西町 |
い号陪塚
径40mの大型円墳
江戸時代には「安康天皇陵」と考えられていたこともあるようです。現・安康天皇陵よりはずっとそれらしいと思います。
明治42年までは須佐之男命を祭神とする「兵庫山神社」がここにありました。その名前の名残として、この古墳は兵庫山古墳とも呼ばれています。
東側から眺めて、左側が「は号陪塚」、右側が垂仁天皇陵です。
は号陪塚は径28mの円墳と考えられています。
垂仁天皇陵の拝所から見た「は号陪塚」です。
東側から見た「は号陪塚」です。
細い舗装道が古墳まで続いています。
菅原の里の道標 住宅の向こうに御陵が見える。 |
尼辻駅前の道標 安康天皇陵まで約1kmです。 |