The tomb of Emperor Keikou, the 20th Emeror of Japan.
第11代の垂仁(スイニン)天皇の御陵を過ぎて西に約1km。
住宅地の中の小高い丘の上に現「安康(あんこう)天皇陵 菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)」があります。
第20代安康天皇(穴穂命 あなほのみこと)は
第19代允恭天皇の第二皇子で、
有名な仁徳天皇の孫にあたります。また、弟には第21代雄略天皇(大泊瀬皇子 おおはつせのみこと)がいます。宋書に言う倭の五王の中の倭王「興」とする説もあります。
応神⇒仁徳
⇒履中⇒反正⇒允恭
⇒安康⇒継体と続く一連の「河内王朝」と呼ばれる系譜に含まれる一人です。他の6人の陵はいずれも大阪にある巨大な前方後円墳(現・反正陵は巨大とは言えないが、これは治定の方に問題がある)に治定されているのに比べるとこの陵はあまりにも小さくて不自然です。
1998年に発掘されたところ発掘現場からは古墳と確認できる陶磁器片やふき石や埴輪(はにわ)などの資料は出土されなかったことから
「古墳ではなく中世の山城ではないか、元来小領主の館であったものを大阪の陣で徳川方がその拠点として改修した砦の跡だ。(宝来城跡)」との見解が出ています。
地名も字古城ですので天皇陵というのは誤りでしょうね。
それでは安康天皇陵はどこかということになりますが、菅原伏見西陵というからにはそれほど離れた場所ではないでしょう。
垂仁天皇陵の飛地い号に治定されている遺跡名「兵庫山古墳」(住所:奈良市宝来町字堂垣内)
が直径約40メートルの大型円墳ですし、付近には他に適当な古墳が見当たらないのでこれが安康天皇陵でしょうか。
陵印 |
制札 |
参道 |
正面 |