The tomb of Emperor Yuuryaku, the 21st Emeror of Japan.
第21代 雄略(ゆうりゃく)天皇の陵・丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)とされています。
前方後円墳のように作られているが実際は丸山と呼ばれる直径76mの古市古墳群中最大の円墳で、 前方部は平塚と呼ばれる一辺50mの方墳(実際に古墳かどうか疑わしい)を後世に取り込んんだもの。
古代天皇陵=前方後円墳を前提とすれば、高鷲丸山は天皇陵の候補から外れるが、雄略天皇は「倭の五王」の一人「武」であり、当時の中国宋の墓制の円墳を採用したとの見方もある。しかし、 より現実味のある候補として河内大塚山古墳または岡ミサンザイ古墳(現・仲哀陵) が雄略天皇陵と考えられています。
稲荷山古墳出土の鉄剣銘に記されている「獲加多支鹵大王」と同一人物ともされている。
陵印 |
これは昭和16年のもの |
拝礼所 昭和初期の写真 |
拝礼所です。
前方後円墳と見立てた時の前方部の中央、すなわち島泉平塚古墳側にあります。
北側から見た全景です。
左側に島泉平塚古墳、右側に高鷲丸山古墳、前方後円墳っぽく見えます。
MOZU-FURU CARD No.18です。
中央の円形が高鷲丸山古墳、その右上に島泉平塚古墳が続いています。二つ合わせて前方後円墳を模しています。
2020年4月 3日入手