第26代の継体天皇の御陵・三島藍野陵(みしまのあいのみささぎ)であるとされています。しかし、そうではないという考えのほうが優勢です。本当の継体天皇陵はといえば約1.5km東北方向(京都側)にある今城塚古墳と考えられています。
「継体天皇」は、第25代武烈天皇に後継者がいなかったために、越前(福井県)から迎えられ、西暦507年に樟葉宮(枚方市付近)で即位され、その没年は、『日本書紀』によると西暦531年頃です。それに比べるとこの古墳は古すぎます。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 226 | 138 | 19.2 | 147 | 19.8 | 5世紀頃 |
幅約28~33mの濠がめぐっています。また後円部と前方部が接するところに、造り出しが設けられています。
遠景。東側から。 |
陵印。この印は何故だか京都の明治天皇陵のところにあります。 |
制札です 西国街道に面しています。 |
拝所 | 周濠 | 陪塚 近くに8基残っています。 |
平安時代に書かれた本の中に、継体天皇稜は、
摂津の島上郡にあると書かれていますが、この辺
は昔、摂津の島下郡と言われていました。島上郡と
言えば、東隣の高槻市の方です。この面でも今城塚古墳の方が真の継体天皇陵という根拠になります。
しかし、このように継体天皇陵に比定するには無理があっても堂々とした前方後円墳であることには変わりありません。おそらく、今城塚古墳は盗掘にあったり、戦国時代に支城に使われて破壊されたりしていたために尊王の立場から保存良く格好の良い太田茶臼山古墳の方を継体天皇陵に決めてしまったのだと想像します。