西国街道は、古代から京都と西国を結ぶ重要な道であり、江戸時代には本街道である大阪まわりよりも距離が短いので西国諸国の大名の参勤交代路として多く利用されてきました。
一般に西国街道の名で親しまれていますが、幕府の名称では「山崎道」と呼ばれ、東海道の大津宿から京都に入ることを避けて、直接に伏見宿に至り、山崎(京都府乙訓郡)、芥川(高槻市)、郡山(茨木市)、瀬川(箕面市)、昆陽(伊丹市)を経て西宮に至る、全行程50kmの街道です。
茨木市内のこの街道沿いには大田茶臼山古墳(現・継体天皇陵)、耳原古墳、郡山宿本陣(通称=椿の本陣)のほか、数多くの遺跡があります。(以上は茨木市教育委員会作成の立て看板を参考にしました。)
特に高槻市から茨木市にかけて街道の北側、淀川北岸地域に展開する三島古墳群は邪馬台国の外交ルート上にあり、3世紀から7世紀にかけての古墳群です。また、継体天皇陵の真偽が話題を提供しています。
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