未盗掘・未破壊の最も古い竪穴式石室が見つかった「闘鶏山(つげやま)古墳」は今城塚(いましろづか)古墳から西北に約700m、名神高速道路を越えて闘鶏野神社のすぐ北側に位置します。西国街道からは少し寄り道になります。
この古墳は淀川北岸地域に展開する三島古墳群の中にあって、極めて良好な状態を保っています。
古墳時代前期、4世紀前半築造と推定される同古墳は、全長86・4メートル、後円部の直径約60メートルの前方後円墳。外気に触れると石室が劣化する恐れがあり、本格発掘は進めていませんが天井石のすき間からのファイバースコープによる調査で副葬品の三角縁神獣鏡や方格規矩四神鏡が確認されています。
闘鶏野神社 参道は名神高速道路を越えています。 |
現地説明会(2002年6月) ファイバースコープで撮影した画像が公開された。 |
現地説明会 後円部の発掘現場。 |
右端の写真では約2メートルの盛り土の下に天井石の一部が見えています。竪穴式石室が2基見つかっており、写真中央が先に埋葬された東側石室(第一主体)、手前側に第二主体があります。
三角縁神獣鏡が出るとすぐに邪馬台国を連想してしまいます。この古墳も卑弥呼を継いだ台与あるいはその次代の人物の墓と考える人もいるようですが、いかがなものでしょう。邪馬台国や大和王権と政治的に深いつながりを持ちながら三島周辺を統治していた人物の墓であったのは間違いないでしょうし、邪馬台国が魏に使いした時の通路上に位置したのだと思われます。
墳丘 所々に調査用のトレンチが。 |
田んぼに囲まれた番山古墳 すぐ西側にあります。 |
ハニワ工場公園 今城塚古墳のハニワを作った工場遺跡です。 |