The tomb of Emperor Keikou, the 11th Emeror of Japan.
垂仁天皇陵の濠中に田道間守(多遅摩毛理、たじまもり)の塚がある。その田道間守は名の通り、但馬(たじま)の国あたりの実力者であったといわれる。
日本書紀によると、ある時タジマモリは、天皇から「常世の国(現在の韓国済州島と言われる)から橘(みかん)をもってくるよう」指示を受けた。苦難の末やっと常世の国から帰って来たが、天皇は死んでいた。その悲しみのあまりタジマモリは天皇陵の側で死んでしまう。人々は、これを悼み、天皇陵の側に橘の木を植えたという。
御所に植えられる「右近の橘(うこんのたちばな)」はこの故事に因る。
田道間守の塚 |
田道間守の塚 |
鳥居の向こうの壕中に田道間守(多遅摩毛理、たじまもり)の塚がある。 この日はお祭が行われていた。 |
陵の側のタジマモリのみかん。 |
濠の横で見つけた蝶 |
堀で遊ぶ鴨 一月。 |