宇度墓(うどはか)古墳
淡輪ニサンザイ古墳

陵印

大阪府泉南郡岬町淡輪



 大和政権が、大和から河内そして和泉に進出し、現・仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳が作られた5世紀の半ば。紀伊から和泉(堺)へ向かう海の交通路としてその中間地点となる岬町は大阪湾の入り口である要因から非常に重要な地域であったようです。その有力な根拠は、岬町には、この狭い平野の中に西陵古墳、宇度墓古墳と大きな前方後円墳が2基も存在していることであります。
 この宇度墓は垂仁天皇第2皇子五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされ、宮内庁の管轄下にある「陵墓参考地」です。

規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳170110 120   5世紀中頃
古墳時代中期

地図

南海本線淡輪駅の
南側にあるのがこの宇度墓
淡輪駅

淡輪駅
宇度墓が駅ホームから見える
制札

宮内庁の制札


前方部

前方部

蓮

南側の濠
蓮池状態になっている
西小山陵古墳
西小山陵古墳
立て札だけがありました


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猫 このページは2004年 9月12日に更新されました。
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