羽曳野丘陵から東側に低く舌状に延びた尾根上に前方部を西に向けている。
古市古墳群南部の中では最大規模。
周辺にある仁賢天皇陵古墳・清寧天皇陵古墳・峯ケ塚古墳と、 やや東に距離をおく安閑天皇陵古墳と合わせて、西面し主軸を東西方向に置く前方後円墳として古市古墳群の中でも一つのグループを成しています 。
後円部に10cm間隔で市野山古墳(允恭陵)と同様な特徴が見受けられる円筒埴輪が並べられていた。他に朝顔埴輪や家・衣蓋埴輪が出土している。
記紀の白鳥伝説に由来する、日本武尊(第12代景行天皇の皇子)の墓とされているが、根拠に乏しい。
羽曳野市の地名の由来は、ヤマトタケルが東征の帰途、伊勢の能煩野(のぼの)で亡くなり、白鳥と化して大和の琴弾原(ことびきはら)から河内の旧市邑(ふるいちむら)に飛来した(日本書紀)というヤマトタケルの白鳥伝説を踏まえ「さらに白鳥は舞い上がり、埴生の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」とある白鳥神社(同市古市)の縁起にちなんで命名されたそうです。
大変、優美な名前ですね。
また、百舌鳥古墳群のニサンザイ古墳と相似形で2/3の大きさで造られていることが指摘されています。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 200 | 165 | 106 | 5世紀後半 |