継体天皇の第一皇子、第27代、安閑天皇の陵。
古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)、古市城山古墳(ふるいちしろやまこふん)、高屋城山古墳(たかやしろやまこふん)。
古市古墳群の南部、高屋丘陵の北端に位置し、前方部を西に向けている。
高屋城は南北朝時代に、北朝方に付いた畠山基国が古市城(誉田城)として築き、遊佐氏が居城としていたのが始まりといわれています。
その後、応仁の乱の発端となった畠山義就が、乱が終わった頃の文明十一年(1479)に、安閑天皇陵を本丸に取り入れた大城郭を高屋城として築きました。
戦国時代になると畠山高政、安見直政、三好長慶の三勢力が高屋城をめぐり争って、天正三年(1575)織田信長が大阪に攻め込み廃城となるまで続きました。
このような経緯から墳丘は大きく改変されています。
江戸時代に墳丘の崩れた部分からササン朝ペルシャ製のガラス椀が見つかっています。それは現在東京国立博物館所蔵で国重要文化財に指定されています。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 122 | 75 | 98 | 古墳時代後期 6世紀前半 |