柳生の名は大昔、たいへん大きな柳の木があったのでその名が生まれたといわれています。柳生は江戸時代、徳川家康、秀忠、家光に仕えた柳生藩の里で、 柳生の名が知られるようになったのは宗厳(石舟斎)が、柳生新陰流を生みだし、その子宗矩が徳川家の兵法指南となり、柳生の里に、父宗厳の菩提を弔う芳徳寺をはじめ、柳生陣屋を建て、代々徳川家の兵法指南や相手役をつとめ柳生道場で多くの弟子を教育したためです。 現在も、家老屋敷、柳生藩菩提寺の芳徳寺、柳生藩陣屋跡などが残っています。
 また、柳生街道の途中には、地蔵の首に切れ目が入った首切り地蔵があり、柳生の剣豪柳生十兵衛の弟子、荒木又右衛門が、試し切りをしたと伝えられています。

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