疱瘡地蔵

奈良県奈良市


疱瘡地蔵の横に奈良市教育委員会の立てた看板があって「正長元年柳生徳政碑文」とある。それによれば疱瘡地蔵の右下、長方形の枠取りの中に「正長元年ヨリ  サキ者カンヘ四カン カウニヲヰメアル  ヘカラス」と書かれていて「正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず」と読むそうです。即ち、正長元年(1428)の大一揆で、神戸四箇郷(大柳生・坂原・小柳生・邑地)の農民が借金棒引きの徳政を勝ち取った喜びを地蔵の脇に刻んだということです。
しかし、実際には読めません。仮に読めても何のことやら判らないですネ。
疱瘡地蔵 街道 桜
疱瘡地蔵
街道途中 途中の集落。桜が満開。
お藤井戸
柳生但馬守宗矩(十兵衛の父)が、この井戸で洗濯をしていたおふじという女性を見初め、妻とした。いわゆるシンデレラストーリーの舞台です。
但馬守宗矩がこの井戸付近を通りかかったところ、洗濯をしていたお藤にふと「桶の中の波はいくつあるか」とトンチ問答を投げかけました。するとお藤は「お殿様がここまで来られた馬の歩数はいくつ?」と訊ね返しました。但馬守はその器量の良さと才気を見初め妻に迎えたので、今でも里歌に「仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤但馬の嫁になる」と残されているそうです。

しかし、このトンチ話、それほど良く出来ていますでしょうか?上方落語の中にも
[奉行]空に出る星の数はいくつか?
[子供]それではお白州にある砂の数はいくつですか?
[奉行]白州の砂の数など判るわけが無い。
[子供]手にとって数えられる砂でも判らないのに手の届かない星の数など判りません。
[奉行]それでは奉行、今より砂を数えるので星の数を答えなさい。
[子供]判りました。それでは星に手が届くように梯子を貸して下さい。
・・・・・・・・・・・・・・

こちらの方が上出来だよネ。


道標 井戸
道標
お藤井戸



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猫 このページは2003年 7月19日に更新されました。
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