「た」行
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土鈴関連の辞書です。
今後とも充実を図ります。
大形のすず。 「 銅鐸 ・風鐸 ・木鐸 」
2019年に開催された第71回正倉院展には金銅鎮鐸が2種初出品されました。 鐘型の風鈴ですが、その内の一つには風招に空けられた穴に2つの小さな鈴がぶら下がっているのが印象的でした。
数え方(数詞)は口(一口、二口、・・・)です。
「鈴紐」に同じ。
土鈴制作の手法。粘度を直接こねて手わざだけで作る。作り方によって以下のように分類される。
掘り起こし:最初は湯呑や茶碗を作るような感じで、上部を細めていく
たたら作り:初めに粘土を平たい板状に延ばし、周囲を立ち上げて上部を細めていく
割り付け:まず完成品の形をした原型を作り、次に二つに割る。割った2つのそれぞれの内側をスプーン状のもので刳り抜いてから合わせる
紐作り:粘土を紐状にして、それを巻くように積み上げ、上部を細めていく
粘土を焼成して作られた土製の鈴
[歴史]古くは縄文時代にさかのぼり。魔除けや豊猟祈願など呪的な進行に用いられたとされる。 江戸時代になると五穀豊穣や蚕の鼠除け、子供の虫封じなど鈴の功徳にあやかろうとする庶民の願いから様々な土鈴が生まれてきた。 これが昭和初期に入り、収集鑑賞の対象ともなって空前の土鈴ブームを巻き起こし、神社仏閣のお守り(授与鈴)として、 また観光地の手ごろなお土産として全国各地に広く普及した。
器物の分類としては風鈴やおりんの仲間で「音は出るが、楽器とは言いにくいもののこと」=「音具(おんぐ)」に属します。
土鈴の作り方には大別して手びねり、型抜き、ろくろ作り、流し込みがあります。
その内、型抜きの一例がこちらに紹介されています。
土鈴の人気には浮き沈みがありましたが、過去に3回土鈴ブームと呼ばれる時期がありました。
第一次土鈴ブーム:大正10年(1921年)前後。1924年発行の「郷土趣味」田中緑江著には日本で最初に「郷土玩具」という言葉が使われ、 この頃、土鈴はすでに子供の玩具というよりは大人の趣味品のように思われていたことがわかる。
第二次土鈴ブーム:昭和10年(1935年)前後。軍国主義へとかきたてられた社会的風潮、それに伴い景気は落ち込み 不況による人々の思惑など、神仏への信仰の念が一層強まり、人々は心の拠り所に、魔除、招福、開運にと、「社寺の守り鈴」をすすんで求めた。
また、大阪ドレー会、百鈴会、きんじょう会等々、多くの趣味の会や交換会が生まれた。
第三次土鈴ブーム:昭和35年(1960年)前後。日本の経済発展につれて、観光旅行が華々しくなり、戦争で壊滅状態になった土鈴が復活し、 全国各地で土鈴収集家の集りもぼつぼつ復活してきた。
この流れは昭和56年発足の語鈴会、昭和61年発足の神戸土鈴友の会、 昭和63年発足の三十鈴会、平成8年発足の七福の会につながっていくが、 神戸土鈴友の会以外は比較的短期間で終わっている。