お水取り
お水取り(おみずとり)は東大寺二月堂で行われる、修二会という法会の中の一行事で3月1日から14日まで(かつては旧暦2月1日から15日まで)おこなわれています。 目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過)であり、その間、心身を清めた僧(練行衆)が十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願します。
ただ、「お松明(おたいまつ)」に象徴されるお水取りは修二会の一部で、修二会そのものは2月に始まっています。
良弁杉(りょうべんすぎ または ろうべんすぎ)は東大寺建立に力のあった僧良弁が、幼いころ鷲に連れ去られ杉の木に置かれたという伝説の残る杉の木で二月堂の前に立っています。
この杉は大正初期の写真では大木であったことがわかるが、昭和 36年(1961)9月 16日第 2室戸台風で倒壊。その後植え替えられたが、昭和 41年頃枯れたので、昭和 42 年(1967)3月16日に先代を挿し木した苗を植樹した。これが現在の良弁杉です。 まだ大木とはいえませんが、毎年お水取りを見守っているように感じます。
余談ですが第 2室戸台風の日、小学校は休校だったけれど、家がミシミシ鳴って少し怖かった記憶があります。
青衣の女人(しょうえのにょにん)は「過去帳」を読み上げていた際、僧・集慶の前に現れ、「何故わたしを読み落としたのか」と恨めしげに問うたと言われています。 僧・集慶がとっさに低い声で「青衣の女人」と読み上げるとその女人は幻のように消えていったと言われています。
「過去帳」には東大寺が創建された奈良時代から現在までの期間、聖武天皇や源頼朝のように東大寺や二月堂に関係した人物、また修二会に参籠した僧侶などの名前が記され、その冥福を祈る為に読み上げられています。
尚、青衣はブルーではなく信号機の「アオ」のようにグリーンだったと言われています。そこで、この土鈴の女人も緑色の着物を着ています。
差懸はお水取りで練行衆が履く木沓です。。
この差懸によって、「カタ カタ カタカタカタ」、堂内から床を踏み鳴らす音が聞こえてきます。
「水取りやこもりの僧の沓の音」と松尾芭蕉の句にも出てきます。
フッター右側の土鈴にはこの句が書かれています。
牛玉櫃とはお水取りの練行衆が身の回り品を入れる葛籠(つづら)です。 また、牛玉櫃には練行衆各自の目印(家紋とは限らない)が貼りつけられています。
その中には中箱のような懸子(かけご)が3段入り、牛玉箱、守本尊、念珠、中臣祓、声明集などが納められています。
大導師はお水取りの事実上の総責任者で、大導師が持つ三鈷鐃(さんこにょう)は銅製の本体の全体に紙が貼られて特徴ある音色を奏でるものです。
鐃(にょう)は球形の鈴身に棒状の柄を付けた形式の法具で、柄先を三鈷形にしたものが三鈷鐃です。 お水取りでは大導師(だいどうし)、和上(わじょう)、 咒師(しゅし)、堂司(どうつかさ)の四職(ししき)と呼ばれる4人が三鈷鐃を所持しています。
この土鈴はその大導師鈴を模ったもので、大きさは実物の1/3程度にしています。
ヘッダーには堂司鈴、金剛鈴を挙げました。
貝合わせを土鈴にしました。図柄は若狭井の鵜と青衣女人です。
鵜は若狭井の故事に登場する「白と黒の二羽の鵜」です。
前回はこちらにお水取り土鈴を紹介しました。
フッターの左側の土鈴はお水取りに使われる糊こぼし椿の土鈴です。