能登地震関連の土鈴
元旦に起こった能登地震、大変な災害でした。亡くなられた方のご冥福と被災された方へのお見舞いを心から申し上げます。
2か月たって落ち着きと復興の兆しが少し見えてきましたのでこのページでも取り上げてみようと思います。
中野和彦さん作の鎮震土鈴です。「なまずが暴れると地震が起こる」と昔から言われています。そのナマズを大きな石で抑え込んでいます。
実際には原因と結果が逆で、地震に関係する微弱な電気的シグナルをナマズが感知して、揺れを感じるより先に騒ぎ出すそうです。
土鈴ではなくて浮世絵ですが、早く余震も収まってほしいという願いを込めてあげてみました.
江戸時代、恐れられた災害は、地震、雷、火事、おやじと言われるように、地震がトップでした。安政二年(1855)10月の「安政の大地震」で江戸市中は甚大な被害を蒙りました。 この直後から、地震を引き起こすと信じられていた大鯰を描いた、「鯰絵」と呼ばれる版画(多色刷り浮世絵)が市中に大量に出回りました。 その中の一つで、鹿島神宮の境内にある要石が出てきます。
あら嬉し大安日にゆり直す
要石で大鯰は押さえ込まれ、各地の鯰は詫びを入れ、地震のない日々に戻ったと喜ぶ。
添文は地震除けの呪文?
国際日本文化研究センター「鯰絵コレクション」
黄雀文庫蔵 安政2年(1855)
続いて石川県・能登に関連する土鈴をいくつかご紹介します。
私は昨年この地方を旅行しましたが、今回の地震で随分景色が変わってしまったようです。
落ち着いたらまた行ってみたいです。
御陣乗太鼓(ごじんじょうだいこ)は、石川県輪島市名舟町に伝わる伝統芸能で、お面を被った人々が陣太鼓を打ち鳴らしながら勇壮に舞い、名舟大祭の一部として行われます。
土鈴は全身の物やお面部分だけの物が色々あって、石川県の土鈴の中では一番ポピュラーなものではないでしょうか。
奥能登・大沢町の民話「長太むじな」の土鈴です。
むかしむかし、輪島の大沢村にキコリの長太という男が住んでおったそ~な。ある時、800歳にもなるという大ムジナとナワバリ争いで戦ったそ~な。 危ないところで霊高寺のお札で助かったそ~な。めでたし、めでたしというお話。
輪島・西保海岸 西保工藝村
これも能登むじなと書かれた土鈴です。
上の「長太むじな」と同じ民話に因ったものかどうかは判りません。
上を向いた元気そうな狸さんです。
兼六園土産の九谷焼土鈴です。
九谷焼の土鈴(陶鈴)も色々作られています。
羽咋市のUFO土鈴です。
羽咋市のUFOで町おこしをしたところとして知られています。
羽咋市には「そうはちぼん伝説」という言い伝えがあります。 江戸時代の頃、“そうはちぼん”と呼ばれる飛行物体が頻繁に目撃されていたと伝えられています。 そうはちぼんとはシンバルのような形をした仏具のことで、形がUFOに酷似している事からUFOのことではないかと言われ羽咋市は「UFOのまち」と言われるようになりました。
ヘッダー左は白山の牛王宝印(ごお_魔除け)、右は輪島と書かれた木鷽と梅の花です。
フッター左は「加賀百万石」と書かれた兼六園の魔除け鈴、右側は能登金剛・巌門の提灯土鈴です。
また、背景の梅鉢紋は加賀前田家の家紋です。前田家は菅原道真の子孫を名乗っていたので北野天満宮(京都)や、湯島天満宮(東京)などと同じこの紋だそうです。