飛鳥の土鈴
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飛鳥の土鈴は今までに飛鳥寺、岡寺、 大和国中土鈴 飛鳥亀型石土鈴等、色々紹介してきました。
今回もまた色々選び出してご紹介したいと思います。
1957年に飛鳥寺(法興寺)塔心礎から出土した舎利荘厳具は、日本列島への仏教導入を考える上で第一級の出土資料だとされています。 その中の一つに礎石上面西隅より出土した馬鈴がありました。 青銅製の鋳造球形鈴で、鈴本体下部に文様が施文されており、大きさは鈕を含めた全高5.8㎝、鈴本体の高さ4.3㎝、最大幅4.5㎝、厚さ1.5~3.5㎜、重さ100.95gでした。
画像下段中央がその出土品の現物です。
画像上段右が出土品と同じ大きさで合金で復元されたものです。それには以下のような説明書が添付されていました。
馬の鈴は古代において、馬の胸繋などにつけられたことが埴輪馬から推定される。
この馬鈴は、推古天皇元年(593年)正月15日、飛鳥寺の塔心礎の中に奉安された仏舎利を、荘厳供養する意味で 埋納された宝物の中の一つで、昭和32年奈良国立文化財研究所の発掘により出土したものを、実物大に模して謹作したものである。
これは銅、錫合金の鋳造品で、古代の音色が少しでも心に響けば幸いである。
又、木箱蓋の文字は、寛永年間に使用されていた格調高い宝印の写しなり。
解説 飛鳥寺 山本宝純
画像左側がこの馬鈴をモデルにした土鈴です。型:山本芳考、作:山本芳香
岡寺のカワイイ系土鈴です。2014年頃の授与鈴ですが、この時点で有名な天人文甎土鈴、 玉龍鈴はもう授与されていなかったようです。
2021年3月に訪れた時には桜地蔵鈴・童観音鈴を含め全く土鈴は授与されておらず、淋しさを感じました。
あすか郷土人形土鈴3種です。
添付の栞による説明です。
石舞台:石舞台はわが国最大の露出古墳として著名でありますが、土地の人たちはこれを素朴にも「石舞台」と呼んで来ました。 狐が娘に化けてこの石の上で舞を舞うというのです。狐のステージだと考えたのでありました。
鬼の俎板(まないた):欽明天皇陪塚の一つが破壊して石廊の底板が露出しました。 この地方に住む鬼が通行人を捉えてその底板石を俎板とし、料理して食べたといういい伝えから、これを「鬼の俎板」と呼ぶようになりました。 付近には「鬼の雪隠」も残っています。
雷(いかづち)の丘(おか):持統天皇が雷の丘にのぽられた時、柿本人麿が歌を作りました。 「大君は神にしませば天雲の上にいほりせるかも」その「雷」という名の起こりは、雄略天皇の御代に少子部栖軽(ちいさこべのすがる)がこの丘の上で雷を捉えたという神話に発端しています。
既存の型をベースに山本芳香さん作
上記で狐のステージだと考えられた石舞台ですが、実物はこんな感じです。
海老天たまこ 2015年作
「墓を護るもの」というタイトルでピラミッドを護るスフィンクスと吉備姫王墓を護る猿石を対比させてみました。
海老天たまこ 2015年作
ヘッダーには亀石土鈴、フッターには猿石土鈴を用いました。