沖縄の土鈴
2020年は新型コロナウイルスの話題で明け暮れたような年でした。
新しい年を迎え、温かい沖縄からやってきた土鈴達をご紹介します。
沖縄県名護市のやがじ荒焼き(玉城正明氏)の「たまシーサー(球形シーサー)」です。
新窯による無釉焼成で荒焼きの表現の可能性を追求し、焼成中に灰被りを繰り返しています。
従来のシーサーの形とは異なる最もシンプルな形を目指し余計なものを削ぎ落した結果、 球形にたどり着きました。シーサーと極限まで向き合った唯一無二の品とのことです。
公式HPはこちらです。
本品は土鈴として作られたものではなく、売店の棚にあった数個のうち、振って音がなったのはこれだけでした。 底に穴をあけた時に中に入り込んだカケラが偶然鈴玉となったと思われます。
Nago Grocery Centerにて購入
壺屋焼き、濱子末子氏作のシーサー土鈴です。これも丸い。。
濱子末子氏は1950年3月3日那覇市にて出生
濱子明久と結婚後ともに陶芸に専念する
2002年より先代明久氏の後を受け継ぎ現在に至る。
窯元 濱子陶器
住所
紳蝿県那覇市壺屋
1-18-11
電話
098-863-3765
那覇市伝統工芸館にて購入
壷屋焼について
沖繩の焼物の歴史は五〇〇年前、琉球が南方 交易の盛んであった頃、南方地域より陶法が伝 えられ、その後中国、朝鮮、薩摩などからそれぞ れの技法が伝えられ、それから融合して型・図柄・釉等に多様性を生じ、壷屋焼の基礎を作 り上げたものです。
一六八二年(天和二年)当時の琉球王府は、美里村(現沖繩市)の知花焼・首里の宝口窯・那 覇の湧田窯など地方にあった窯場を、現在の那覇市壷屋に統合し、以来三百余年の陶歴を誇り としております。祖先の遺風は尊い伝統となって、今日まで引き継がれ、昭和五十一年六月に は通商産業大臣(当時)より伝統的工芸「壷屋焼」の指定を受けております。
壷屋焼は普通、荒焼(アラヤチ・南蛮焼)と上焼(ジョーヤチ)に分かれ、荒焼は無紬で、主に味噌壷・酒壷・水瓶・厨子 等・大物が多く、上焼は赤生地に白化粧をして紬薬を掛ける手法で、日用品の花瓶類、茶器、酒 器、獅子、その他装飾品、置物等が、作られその「素朴さ」、「温かさ」、「力強さ」が特徴です。
那覇市伝統工芸館の説明書より転載
壷屋焼の馬土鈴です。
馬の部分は釉薬で描かれていますので「上焼」ということになるのでしょう。
那覇市伝統工芸館にて購入
これもシーサーですが、沖縄の土鈴ではありません。
大阪の中北訓子さん作
沖縄のシーサー土鈴では見たこともないようなカラフルなものですが、何となく、沖縄の紅型(びんがた)を連想するような彩色です。
四天王寺にて購入
ヘッダーの背景は沖縄路線を飛ぶB777-300の窓からの景色です。主翼が大きいです。4つの土鈴は沖縄のシーサー土鈴です。
フッターの背景は美ら海水族館の巨大水槽です。ジンベイザメがゆったりと泳いでいます。土鈴は琉球古典焼の土鈴です。
尚、沖縄の土鈴は約10年前にも紹介しています。こちらをご覧ください。