復活 山本芳考さんの土鈴 (2)
山本芳考さんの型から復元された土鈴の紹介の2回目です。
これを復元されているのは山本芳考さんの長男さんの奥さま・山本芳香さんです。
大阪府河内長野市にある観心寺の天邪鬼鈴です。2種類の土鈴があります。
観心寺は、大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、その後、平安時代の初めに弘法大師空海によって寺号を観心寺と改称されたといわれる。 また、楠木氏の菩提寺でもあり、後醍醐天皇や楠木正成および南朝ゆかりの寺としても知られている。
逆に室町時代以降は足利、織田、徳川の圧迫を受け、多くの塔頭も失われたが、今も多くの文化財が残されている。
さて、この天邪鬼鈴ですがネットで探してもモデルとなった実物画像が出てきません。現物を見てみたいものです。
このページをアップしたあとで「猫茶屋はちべえ」さんから教えてもらいました。左下側の頬杖をついたような邪鬼は現在、霊宝館蔵、元は書院勅使門の蟇股に使用されていたそうです。もう一つも同じでしょうか?
芳考さんのものではないですが、きれいなコスモスの土鈴もあります。
般若寺は飛鳥時代に創建され天平のころ平城京の鬼門を鎮護する寺となりました。 今はコスモスの名所として有名で、大きな十三重石宝塔(重文)を背景に映えるコスモスは撮影スポットになっています。
本尊の文殊菩薩は智慧の菩薩として多くの信仰を集めています。「厨子内」に安置されていますが、獅子座の上に結跏趺坐しておられます。 その獅子座の獅子頭をモデルにしたのがこの土鈴です。
平城宮の鬼瓦鈴です。
かつて不退寺にて授与されていたものです。
上の写真は平城京址で展示されている実物の鬼瓦です。色々なデザインの鬼瓦が残されていますが、この写真のものが土鈴のデザインに一番よく似ているように思います。
不退寺では角大師鈴、多宝塔鈴も授与されていました。
鴟尾(しび)とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種で、訓読みでは「とびのお」と読まれます。沓(くつ)に似ていることから沓形(くつがた)とも呼ばれたそうです。
瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたようで、火除けのまじないにしたといわれています。
この土鈴は飛鳥寺で授与されていたものです。
飛鳥寺は日本で初めて本格伽藍を備えた寺院で、日本で初めて作られた鴟尾が屋根を飾った寺院です。 その飛鳥寺の瓦作りは朝鮮半島の百済からやってきた4人の瓦博士の指導によったと言われています。
他の色々な鴟尾土鈴はこちらをご覧ください。
岡寺の天人浮刻■(天人文甎)を模した土鈴です。
現物は縦・横39.4cm、厚さ6cmの土製で、立ち上がりの輪郭をとった方形盤面中央いっぱいに、大きく天女を浮き彫りで表しています。 天女は両膝をつき両手をささげているが、その手には領巾(ひれ)が握られています。 膝を屈して坐った形ではあるが、風になびいた天衣のかろやかな曲線からは、天空から飛来する感じを受けます。
もと岡本宮の装飾として使われた腰瓦と推定され、現在は、京都国立博物館にて保管され、重要文化財に指定されています。
また、2015.7.18~9.23に奈良国立博物館の開館120周年特別展(白鳳展)にも出展されています。
岡寺=龍蓋寺は先月の説明をご覧ください。
文中の "■" は「せん:土偏に専という文字、Unicode:U+587C」です。煉瓦やタイルを意味する文字です。
当麻寺は奈良平安期の寺院で東西両塔が揃って現存していることや中将姫伝説等で有名な葛城市にあるお寺です。
この土鈴は仁王門の金剛力士像、阿形・吽形のそれぞれの顔を両面に模ったものです。
また、大きさ的には写真のものは中型のものです。小型の両面鈴、また大型で両面になっていないものもあります。
小型の両面鈴とは頭部の表現が異なります。
他に芳考さん作としては中将姫伝説に因んだ「蓮華鈴」があります。
旧・当麻町のマンホールです。二上山、当麻寺東西両塔と牡丹が描かれています。
芳考さんの復元土鈴はまだまだありますので来月もご紹介します。