JR阪和線「百舌鳥」駅を下車し、南東へ徒歩約5分。5世紀中~末ごろに築造された前方後円墳です。 墳丘は、陵墓参考地に指定されていて宮内庁が管理しているので入れませんが周囲は一巡するのに手ごろな大きさです。
百舌鳥古墳群では現・仁徳陵、現・履中陵、ニサンザイ古墳に次いで4番目の大きさで、前方部を西に向けています。
墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません。周囲には盾形の濠と堤がめぐっており、最近の調査で二重の濠があることがわかっています。
御廟山古墳は現・反正陵 田出井山古墳や保存運動で守られたいたすけ古墳、百舌鳥古墳群で一番古い乳岡古墳等より知名度は低いですが大ききさでは勝っています。