いたすけ古墳は守られた古墳です。昭和30年(1955年)樹木が伐採され、濠に橋が架けられ、この墳丘はあやうく住宅地にされかけました。JR(当時国鉄)阪和線「百舌鳥」駅を下車し、現・仁徳陵とは逆方向に南へ徒歩約10分。大阪に通勤するにも便利な場所に位置します。
しかし、市民や学者の保存運動で守られ、昭和31年、国の史跡に指定されました。
百舌鳥古墳群のほぼ中央にあり、ニサンザイ古墳や御廟山古墳と同様に前方部を西に向けています。
規模は、大古墳の多い百舌鳥古墳群中でも8番目の大きさで、3段に築成され、南部のくびれ部には造出しがあります。
葺石と埴輪があり、後円部からは衝角付冑の埴輪が出土しています。この冑の埴輪は堺市の文化財保護のシンボルマークになっています。
濠は1重で台地の南端に位置しているため、濠の南側には大規模な堤が築かれています。
このいたすけ古墳と対照的に消されてしまったのが百舌鳥大塚山古墳です。現・履中陵の南側に位置した百舌鳥大塚山古墳は戦後破壊された最大の前方後円墳といわれ、昭和30年頃に府営住宅に変えられてしまいました。乳岡古墳とともに百舌鳥古墳群の中では古い古墳だったそうです。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 146 | 90 | 11.5 | 99 | 10.5 | 5世紀 中~末頃 |
石碑 | 石碑 | 今でも、開発のときに造られた橋の一部がそのまま濠に残っています。 |