百舌鳥古墳群の西南端に位置し、百舌鳥古墳群の中で最も古く4世紀末ごろに築造された前方後円墳です。前方部を南に向け、現・仁徳陵現・履中陵と同じ方向を向いています。
全長約150m、前方部の大半は削られて住宅地になっています。約150mというと百舌鳥古墳群では6番目の大きさになります。周囲の住宅地を歩くと道が不自然に曲がっています。たぶん、元の前方部や濠の形に影響されているのだと思います。
6番目の大きさというと現・仁徳陵、現・履中陵、ニサンザイ古墳御廟山古墳、大塚山古墳(消滅、履中陵の南側にあった)に続くものです。現・反正陵いたすけ古墳より大きいことになります。

 以前は墳丘の上にお寺(乳岡山 念佛寺、1980年に移転)があり、子供の頃は寺山と呼んで遊び場にしていました。地元の人は「チノカ」と言っていたのでナンノコッチャ?と思っていましたが「チノオカ=乳岡」が正しいのですネ。乳房を連想するような墳形、適当な大きさだったのでしょう。仁徳陵などは大きすぎてそのようには見えません。
今は国指定史跡になっていて保存の為に堺市教育委員会がフェンスを作ったので立ち入りは出来なくなっています。


規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳1509414    4世紀末

前方部

前方部、細く伸びています。
大半が削られて住宅地になっていますので今はこんな感じです。
後円部

後円部、ここだけフェンスが途切れていました。
段になっているのがよくわかります。


後円部

後円部、左に前方部が続きますが
全体を見渡せるところがありません。

後円部

後円部の先端部

 



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