お土産土鈴 2025年

第195回例会
2025(令和7年)1月16日にて
絵付けは3種、鈴紐は2種ありました。
鈴音は高音で軽やかです。
鎌倉ベルズ菊池眞 作

第196回例会
2025(令和7年)5月9日にて
小西堂ももさだ工房さんの地元、秋田県に因んだ土鈴です。
マタギとは東北地方・北海道で厳しいしきたりを守りながら集団で狩猟を行う者を指す言葉でした。獲物は主に熊の他、カモシカ、ニホンザル、ノウサギなども対象としていました。 その歴史は平安時代にまで遡り、他地域の猟師には類を見ない独特の宗教観や生命倫理を尊んだという点において、近代的な装備の狩猟者(ハンター)とは異なる存在でした。
小西堂ももさだ工房
小西由紀子作

第197回例会
2025(令和7年)7月19日にて
河童と鯉が仲良しです。
色々楽しいストーリーを考えてみてください。
背面で2人で食べるキュウリを冷やしてます。
楽猫庵
田中千加作

第198回例会
2025(令和7年)
10月18日
作品添付の「赤馬土鈴のいわれ」から引用します。
寛永18年(1641年) 17代吉良上野介義央公は、江戸で生れた。義央公の祖、足利義氏は、承久の乱(承久12年)の戦功により、三河の国の守護職に任ぜられた。当時、この地からきらら(雲母)を産するところから吉良氏と改姓。以来三河国との因縁が始まる。 その後一時的な衰退はあったが、慶長5年関ヶ原の合戦の功により14代義定公が吉良領(吉良町)3200石を賜り岡山殿町(陣屋跡)に居館を構えた。
父義冬公没し後、家督を相続した義央公は吉良の地に在って矢作川等の水害から守る為、黄金堤(一夜堤)の築造や、富好新田の開拓、雑田川の改修等、領民のために幾多の業績を残し良き主君として慕われ知られている。
また領内の見巡りに、いつもくり毛の駄馬に股がり村人達とも気軽に声をかけたと去う。
そんな義央公の徳をしのび、いつしかこの馬を「吉良の赤馬」と呼ぶようになったと云う。
八面焼
松田克己作