お土産土鈴 めい窯 中田好紀

第198回例会
2025(令和7年)
10月18日にて
赤馬の土鈴です。
作品添付のいわれを引用します。
寛永18年(1641年) 17代吉良上野介義央公は、江戸で生れた。義央公の祖、足利義氏は、承久の乱(承久12年)の戦功により、三河の国の守護職に任ぜられた。当時、この地からきらら(雲母)を産するところから吉良氏と改姓。以来三河国との因縁が始まる。 その後一時的な衰退はあったが、慶長5年関ヶ原の合戦の功により14代義定公が吉良領(吉良町)3200石を賜り岡山殿町(陣屋跡)に居館を構えた。
父義冬公没し後、家督を相続した義央公は吉良の地に在って矢作川等の水害から守る為、黄金堤(一夜堤)の築造や、富好新田の開拓、雑田川の改修等、領民のために幾多の業績を残し良き主君として慕われ知られている。
また領内の見巡りに、いつもくり毛の駄馬に股がり村人達とも気軽に声をかけたと去う。
そんな義央公の徳をしのび、いつしかこの馬を「吉良の赤馬」と呼ぶようになったと云う。