駅鈴は昔の公務員が公務出張する時のパスポートでした。

つまり、駅使と呼ばれた公の官吏が、その資格を示す駅鈴を政府から授けられて、これを鳴り響かせながら公用の馬を走らせ、 この駅鈴を示すことによって駅家(うまや)から人馬の補給を受けることが出来たわけです。

駅鈴を鳴らしながら走る早馬の活き活きとした情景は万葉集にも次のように歌われています。

鈴が音の 早馬(はゆま)駅家(うまや)の 堤井の 水を給へな 妹が直手(たたて)よ(14-3439)


隠岐の駅鈴土鈴2種

隠岐の駅鈴 2種

この土鈴には説明書が付いていて、下記のような説明が書かれています。

うまやじのすず   駅鈴由来

 隠岐西郷町下西、玉若酢命神社の宮司、隠岐家に二個保管されています。 同家よ国造(くにのみやつこ)の子孫でこの駅鈴は「隠岐倉印」とともに 歴代の家宝であります。

 孝徳天皇大化二年(紀元一三〇六年)に初めて定められた駅伝制度に 依って都と諸国間の交通路に駅を設けて駅馬伝馬を常備し、官人の公用旅行にはその各駅の人馬を徴用して、往復したものです。

 又その駅馬徴用の証として、駅鈴を諸国に配付して、地方官人が此れを使用しました。

 隠岐には駅鈴を二個頒たれてありました。

 寛政二年(紀元二四五〇年)に、光格天皇が新営の皇居へ御還幸の砌(みぎり)に行列に加へられた鈴櫃の内の駅鈴は 即ち古制によって隠岐に頒ってあった駅鈴を更に隠岐から御用立したものでありました。 斯様に隠岐駅鈴は昔さながら国府の地に歴然と遺存して一千余年の昔を物語る交通史上唯一の資料ともなりゝ重要文化財として保存指定してあります。

 この駅鈴は二個とも八稜形で表裏に「駅」と「鈴」の文字がてん書て鋳出してあり、鈴音が極めて好音で大化時代の雅楽の音程にひとしく、美しい古色と澄み切った音が珍重されています。

隠岐の駅鈴のスケッチ

隠岐の駅鈴のスケッチ

このホームページで紹介しているのは焼き物(土鈴)ですが、元々の駅鈴は当然金属製で、その形状のスケッチが残されています。

例えば幕末の有職故実家松岡行義の「後松日記」にも絵図が載せられていますが、 ここに引用したものは江戸時代に刊行された古美術の木版図録集である集古十種(しゅうこじっしゅ)に載せられたものです

集古十種は国立国会図書館からWEB上にも公開されています。

隠岐の駅鈴土鈴

隠岐の駅鈴土鈴

隠岐の駅鈴土鈴をもう一つ紹介します。

これは出雲市の萬祥山窯元が製作し、隠岐西郷町の杉廼舎が販売したものです。

アレンジされた駅鈴

大山土産と暑中見舞い

本来の駅鈴からは離れますが、駅鈴の形状を残して色々な土鈴も作られています。

ここに挙げた2つはいずれも戦前に作られた土鈴です。

右上のものは大山参拝土産土鈴。島根県安来市の青戸鉄太郎さんの作品と思われます。

左下のものは趣味家が作成した暑中見舞いの土鈴です。

鈴最中の土鈴

鈴最中の土鈴

駅鈴といえば本居宣長で有名な松阪市。松阪市には柳屋奉善の銘菓「鈴もなか」があります。

「鈴もなか」の8個入りを買うと、最中8個に万古焼鈴が1個付いていて合計9個が3行3列の箱入りになっています。

写真右上がその万古焼鈴です。底に「柳屋」と陰刻されています。

また、最中も本居宣長に因んだ鈴の形をしていて、当然駅鈴の形をしたものも入っています。

駅鈴の形をした最中を土鈴にしたものが左上の写真です。

また、駅鈴の形をした最中を二つに割って、饅頭喰い人形のポーズで持ったのが写真の下のものです。

鈴最中土鈴と鈴最中饅頭喰い人形土鈴は海老天たまこ作

常陸の国鹿島明神正等寺(しょうとうじ)蔵の駅鈴

常陸の国鹿島明神正等寺蔵の駅鈴

駅鈴として,隠岐国造家蔵のものの形から連想できないものが常陸の国鹿島明神正等寺蔵の駅鈴です。

「山伏の持てる錫杖の形のごとく長き物」(江戸の儒医者橘南谿[タチバナ・ナンケイ]の北窓瑣談[ホクソウサダン])であり、 幕末の儒医者茅原虚斎[ちはら きょさい]の「茅窓漫録」に「其の長(た)け一尺一分、耳目口鼻皆具わる、形甚だ奇雅なり」と挿絵入りで解説されているものです。

前述の「集古十種」にもスケッチが収められていますので、似た形の土鈴と並べてみました。

人面のようでもありますが、本居宣長遺愛鈴の内の「鬼面鈴」とも似ています。

 

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