忠臣蔵の土鈴
10月、11月と続けて人物土鈴を集めてみましたが、 今月も人物に関連して、また、12月ということで忠臣蔵に関連した土鈴紹介します。
忠臣蔵は江戸時代元禄期に起きた赤穂事件を基にした創作作品で人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の演目として知られています。
赤穂四十七士の本所・吉良邸への討ち入りが元禄15年12月14日にあったので、12月に盛り上がるお話です。
赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助の胸像土鈴です。
左袖には「右二ツ巴」の家紋が大きく描かれています。
衣装は火事装束のようなものを着ていたとのことですが、この土鈴もその雰囲気でしょうか。
陣太鼓の土鈴です。
赤穂の大石神社のもの(右)と高輪泉岳寺のもの(左)があります。
江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立上り、耳を澄ませて太鼓を数え「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」(元禄名槍伝 俵星玄蕃 より) に登場する陣太鼓でしょう。
陣太鼓のデザインは赤穂市のマンホールデザインとも似ています。
マンホールのデザインは結構欲張りで、 中心部の小さな星状マークが赤穂市章(赤を図案化)、その周りに市木桜の花、その外に市花ツツジ と名水100選の 清流千草川の流れ、それらを陣太鼓のギザギザの中にデザインしています。
陶鈴2種類です。
描かれている家紋は右側浅野家「違い鷹羽紋」左側大石家「右二つ巴」です。
また裏側に書かれた「風さそう 花よりもなお我はまた、春の名残りをいかにとかせん」は浅野内匠頭の辞世の句です。
右側の土鈴の周囲には赤穂四十七士の名前が順に書かれています。
東映太秦映画村の土鈴です。
多くのタイトルの中、大忠臣蔵は人気作品だったのでしょう、真中にドンと書かれています。
他には「銭形平次」、「笛吹童子」、「一心太助」等、時代劇全盛期の土鈴だと思われます。
ここで敵役の吉良の殿さまです。
三河吉良の領主であった吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。 その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。 この赤馬の人形を領内の村に住んでいた村人が江戸・天保年間に子どもの玩具として作ったのが「吉良の赤馬」始まりです。
その「吉良の赤馬」を太鼓型の土鈴にしたもので、
平成14年の午年年賀切手のデザインに「吉良の赤馬」が採用され、吉良氏の菩提寺からの依頼があって作り始めたそうです。
キララ鈴 松田克己さん作