山科御廟野古墳(やましなごびょうのこふん)
京都府京都市山科区御陵上御廟野町52
山城国 宇治郡
第38代天智天皇の陵とされています。天智天皇は別名、天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)、大化改新で有名な中大兄皇子です。京都の山科に墓を造ったのは天智天皇が馬で山科に行った時、行方不明になり、そのまま戻らなくなり、沓だけがここで見つかったので墓を造ったという伝承によります。
その後、孫にあたる光仁天皇が即位し、天智系が復活するまで天武天皇の皇統が続くことになります。
古代の天皇陵の治定はほとんどが誤りですが檜隈大内陵(野口王墓古墳、天武・持統合葬陵)とこの御廟野古墳(天智陵)の二基は、まず正しいと考えられています。しかし、御廟野古墳が天智天皇の死後の、どの時点での造営かについてはまだ定説がないようです。
構造は上円下方墳。上円部直径は約49m、下方部一辺は約70mです。
奥さんである鏡女王の墓は奈良県桜井市にあります。
参道脇の日時計 天智天皇が日本ではじめて時計(漏刻)を設置したことにちなんで設置されたもの |
参道 |
看板(制札)です |
戦前の写真 |
陵印 昭和16年3月 |
陵印 現代 |
正面 | 琵琶湖疎水 本圀寺付近 明治期の大プロジェクトです。 御陵のすぐ裏を流れています。 |
日時計土鈴 滋賀県・近江神宮 天智天皇が667年に都を近江大津京に定めたことにちなみ、天智天皇を祀っている。時計博物館も付属しています。 |