桜井市の忍阪(おっさか)にある舒明天皇・押坂内陵(押坂段ノ塚古墳)から 東北方向にすぐの位置にあり、その向こうには大伴皇女墓があります。
鏡女王は万葉歌人として有名な額田王(ぬかたのおおきみ)の姉で、はじめ天智天皇の妃であったが、 後に藤原鎌足の奥さんになった方です。
自身も歌人であり万葉集には5首を残しています。
墳形 | 径 | 高さ | 年代 |
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円墳 | 15m | 古墳時代終末期 7世紀 |
遠景 万葉の時代と変わらぬ風景? 2012年1月 |
正面 宮内庁の管理地ではありません 2012年1月 |
墳丘 以前は松/今は杉 2012年1月 |
歌碑 犬養孝さん揮毫 2012年1月 |
万葉集に残した歌の一つが、舒明天皇陵から鏡女王墓に向かう小川の中の万葉歌碑に書かれています。
『秋山の 樹の下隠(がく)り行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは』(巻2-92)
この歌は、皇太子であった中大兄皇子(のちの天智天皇)が鏡女王に送った歌「妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを」(巻2-91) に答えた一首だそうです。
天智天皇「せめてあなたの家だけでもいつもいつも見ることができたらなあ。大和のあの大島の嶺に私の家でもあったらなあ。」
鏡女王 「秋山の木々の下を隠れ流れる川の水かさが増してゆくように、私の思いの方がまさっているでしょう。あなたが私を思って下さるよりは。」