皇極天皇は第34代舒明天皇の皇后、宝皇女。 第30代敏達天皇の孫茅渟王(ちぬのおおきみ)の王女。第38代天智天皇 ・第40代 天武天皇の母。
六四五年の大化改新に際して軽皇子(第36代孝徳天皇)に譲位したが、孝徳天皇の没後再び即位し、斉明天皇となった。
墳形 | 直径 | 高さ | 年代 |
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円丘墳 | 45 |
陵印 娘の間人皇女(孝徳天皇皇后)も |
陵印 昭和16年 |
戦前の写真 |
上の陵印に見られる間人皇女(はしひとのひめみこ)は舒明天皇と皇極・斉明天皇の間に生まれた三人の子の内の一人で、兄の葛城皇子(後に即位して天智天皇)と弟の大海人皇子(後の天武天皇)の間、真ん中の子として生まれました。
645年、母の皇極天皇の退位によって新たに即位する事になった叔父の孝徳天皇の皇后として立后しました。
尚、穴穂部間人皇女(欽明天皇の皇女・用明天皇の皇后・聖徳太子の生母)とは別人です。