The tomb of Emperor Bitatsu, the 30th Emeror of Japan.

 30代敏達天皇の墓。太子町につくられた最初の天皇陵で、また太子町で唯一の2段造りの前方後円墳。
また「日本書紀」の崇峻紀4年(591)の条に、譯語田(おさだ:敏達)天皇を磯長の陵に葬るとあり、敏達は前方後円墳に葬られた最後の天皇となりました。
 付近には用明陵孝徳陵推古陵、聖徳太子陵等が集まっておりエジプトの王家の谷になぞらえ、王陵の谷とよばれる磯長谷古墳群を形成し、その配置が五輪の花弁を開いた梅の花のような形になることから、古くから梅鉢御陵と総称されています。


規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳 113      6世紀


参道入り口付近

参道入り口付近。

以前に来たとき、まだナビの見れるスマホもなかった時代、ここが見つけられなかった。近くまで来たのに天皇陵が見つからなかったただ1回の経験。

今は便利になりましたね。

2021年4月


イノシシ出没

参道横の注意看板。

イノシシが出るらしい。

2021年4月


正面

正面拝所付近。

下の戦前の写真とあまり変わりませんね。

2021年4月

 

 戦前の写真

 

戦前の写真


陵印

陵印 現代
保管場所は大阪の古市陵墓監区事務所(応神天皇陵)です。


「河内磯長中尾陵磯長原陵」と書かれています。
「磯長原陵」は母親の石姫皇女の陵です。

 



  陵印

陵印
昭和16年
陵印

欽明天皇皇后 石姫皇女
磯長原陵 陵印
大阪府南河内郡太子町大字太子字奥広
昭和18年6月



陵印

皇后 廣姫 息長陵 陵印
ひろひめ おきながのみささぎ
昭和17年5月



滋賀県坂田郡山東町大字村井田

日本書紀に「敏達天皇四年一月九日、息長真手王の女廣姫を立てて皇后とした。一男2女を生んだ。」とある。
現在の米原市付近を本拠地にした息長氏の出身。息長氏の出身といえば神功皇后(息長帯比売命、息長足媛命)も有名です。

 



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