聖徳太子は知っていても、そのお父さんは誰かご存知ですか?ここは聖徳太子の父親、31代用明天皇の墓。古墳時代終末期の古墳として最大級のスケールを有し、天皇陵に相応しいものです。
付近には敏達陵、孝徳陵、推古陵、聖徳太子陵等が集まっておりエジプトの王家の谷になぞらえ、王陵の谷とよばれる磯長谷古墳群を形成しています。
地図で見ると推古天皇陵と聖徳太子陵を結ぶ直線の丁度中間の位置にこの用明天皇陵があります。
一代前の敏達は前方後円墳に葬られる最後の天皇となりましたが、この用明陵は、初めて方形の墳丘をもった王墓ということになります。
墳形 | 直径 | 高さ | 年代 |
---|---|---|---|
方丘、方墳 | 東西約67、南北約63 | 10.5 | 古墳時代終末期、7世紀 |
陵印 保管場所は大阪の古市陵墓監区事務所(応神天皇陵)です。 |
陵印 昭和16年 |
制札です。 |
戦前の写真 |
正面 |
手入の良い生垣が巡っています。 |
皇子 聖徳太子 磯長墓 陵墓印 昭和17年5月 |
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来目皇子 埴生崗上墓 塚穴古墳 陵墓印 昭和17年2月 |