古市古墳群の最も西寄りの離れた場所、松原市と羽曳野市の境界上に存在する大型前方後円墳です。 百舌鳥古墳群と古市古墳群のおよそ中間地点にあるので古市古墳群に該当しない見方もあり、世界文化遺産となった両古墳群のリストには含まれていません。

 一般的な古市古墳群のマップからもはずれており、MOZU-FURU CARDも作られていません。大阪府でも4番目の大きさの古墳なのになんだか目立たない古墳です。 また、宮内庁管理で立ち入りも出来ないために地元の人にも馴染まれているようにも感じません。もっと親しまれ、自慢されるような古墳になるような取り組みがあっても良いと思います。

 築造されたのは6世紀後半、少し後に作られたと見られる見瀬丸山古墳とともに最後の大型古墳と考えられています。

 雄略天皇陵という伝承があり、 また敏達天皇が磯長陵から改葬されたという説や安閑天皇陵欽明天皇陵との説もあり、墳丘未完成説もあります。現在は天皇陵とは治定されていなく、「大塚陵墓参考地」となっています。

 南北朝時代から戦国時代にかけては古墳の上に丹下城が築かれ、昭和3年までは屋敷や畑に利用されていました。


規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳
剣菱形
335185202304  6世紀後半

後円部頂上は海抜45mで、人工の山ですが、松原市内では最も標高が高いそうです。


航空写真

東側より見た航空写真です。近鉄恵我ノ荘駅前の案内板に載っています。

この写真で上半分が松原市、下半分が羽曳野市に属しています。

周濠は後円部で途切れています。

 



全景

東側から見た全景です。

右側が前方部、左側が後円部です。

 



前方部

前方部の北西角です。

 

 



ホームHOME  大阪府の古墳