古代大和の道は、東の山側から順に「山の辺の道」「上つ道」「中つ道」、「下つ道」と、四つの平行したルートで国中(くんなか)を南北に結んでいたとされている。下つ道は平城宮朱雀(すざく)大路の延長であり、現在の橿原市見瀬から田原本、二階堂を経て稗田集落の西辺を通って平城宮を経て奈良市歌姫まで通じていた。
この道を南北に延長すると北は歌姫越(歌姫街道)で宇治、山科を経て近江まで。南は明日香村付近から紀伊まで通 じるという近畿大縦貫道路的な性格が見えてくる。
発掘調査によれば、下つ道の幅員は16mで東側に11m、西側に4mの運河が平行して掘られてあり、水陸両用の極めて珍しい官営の幹線道路であったという。
この大路も今はほんの一部を残す細い道路となってしまっていて辿ることも難しくなっている。

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