栞バックナンバー 第1号③
東京都調布市深大寺は武蔵野の面影を残す近郊の町で神代植物園も近い、中央線三鷹駅よりバスで約15分、下車するとすぐ近くに広大で樹木に包まれた森、境内の山門を入り石段を登ると深大寺がある。石段のすぐ右手に茶店風の売店がある。ここが馬場信子さんの工房である。主人の実氏は武蔵野美大卒の陶芸家で昭和13年頃に土地の浅田力造氏の協力を得て、この地に工房を設け、陶作を始めたまたま嘗て瀬戸で修業した腕で陶鈴を作った。その頃、浅田氏が万葉植物園を作るのに奔走でもあり、信子さんが若い頃より万葉の歌が好きで絵画に深い素養と造詣を持っていたので万葉の花を絵に描いて売り始めた。昭和30年頃であるから近作といえる。初めは手びねりでこつこつと書き、売店で陶器類の片隅で土地の民芸品に交じって細々と売り、その頃、土鈴で有名な森瀬雅介氏が馬場信子さんの真摯な作風と上品な図柄が民芸として、土鈴として最高の価値あるものと宣伝され一躍有名になった。ご主人は居宅で鈴に全く関知せず、信子さん一人で作り、店には工人2~3人で、私の行った時は広い売り場で陶芸品や土産物で繁盛していた。店先の庭では即席の楽焼もしておられたので私も土鈴に花を描いて焼いてもらったものを持っている。その当時は窯は火力の強いコークスで焼いておられた。
万葉土鈴の謂れは先にあげた浅田氏の万葉植物園に協力されたことおt、信子さん自身が若い時から美術に打ち込まれ、日本画に秀で、詩歌に勝れ、万葉の歌が好きであり、その一つ一つを自分の分身のように自分の手で書いたものである。それだけ鈴に愛着を持ち、心が打ち込められている。持つ人々の心にしみじみとした奥ゆかしさを感じる。所謂手作りの味が美しい絵や歌が人々の心をとらえるのである。
私は絵に先ず心が引かれ、その絵から詩の情景が思い出される。歌を味わいながら絵を味わいながら歌う味わうと思うが、もう一つは大きく切った鈴口、白い柔らかな土、物を包むような姿、それから出るにぶい柔らかな音にも一つの風情が見出される。作家鈴としてこれだけ手の込んだ入念の鈴は他にも例を見ない。
絵柄が万葉集に出る植物の、クズ、ウメ、アジサイ、ツバキ、サザンカ、ハギ、スイセン、ヤマブキ、カタクリ、等の花が、文字が、全て異なった姿で表現されているのである。
私が信子さんにお会いしたのは十年前の昭和五十二年九月十三日である。たまたまNHKの「みんなで語ろう」の鈴木健二アナウンサー司会による「老後を楽しく」との演題で、デスカッション形式で放映されたので、私は大鈴小鈴で楽しく話したのであるが、折角東京まで来たのであるから、その翌日に深大寺を訪れたのである。初対面であったが、大いに歓待を受けた、それは、今は故人の森瀬先生と信子さんとが親交があったので、訪問するからよろしくとの依頼状があったからで、早速前日より用意して下さった深大寺のそばをご馳走になった、深大寺と言えば、蕎麦と言うほど有名であるが、その日は予約しておいて下さった、しもた屋で大工の棟梁さんの家で、お客がある時に奥さんが、そばを打って出して呉れる。座敷には前庭のある広問で信子さん等と三人で本当のそばを食べさせていただいた思い出が浮かんで来る。(これが本来の深大寺そばの源流である)
尚、深大寺の上鈴が全国的に有名になったのは森瀬さんの顕彰があずかって大きい。森瀬さんが訪れると、必ず森瀬さんのことを即興的に歌に読み込み、それを歌と絵をかいて焼き上げ贈っておられ、その数多くを見せていただいたのであるが、その事を思い出して、私にも鈴に年月日と氏名を書いて送って欲しいと依頼をし、その当時から鈴を集めておられた尾崎俊子さんの分と二つを送ってもらった、思い出の鈴、今も大事に保存をしている。
万葉鈴の他にも花形鈴、深大寺の招福鈴や干支土鈴等数々の土鈴や、お皿や湯呑み、アクセサリ用の小物等沢山作っておられる。昭和生まれの、この鈴が、私にとって本当に愛すべき鈴であり記念すべき鈴である。 尚、前の回のお上産土鈴の万葉土鈴は特に私のためにお送りしていただいたものであることを付記しておく。