岡山市で開催の「猫の祭典2014 -Dramatical cats- 」出展作品です。

にゃらまち猫祭

奈良市で開催のにゃらまち猫祭2016でも夏目漱石没後100周年を記念してリニューアルして出展しました。

10作品ありますのでこのページは少し縦に長くなります。原作を読みながら見ていただくとより楽しんでいただけるかと思います。

雑煮のお餅

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吾輩、白状するが餅というものは今まで一度も口に入れた事がない。そこで正月に誰も見ていないところで雑煮を食べることにした。あぐりと餅の角を一寸ばかり食い込んだ。

ところが歯を引こうとすると引けない。もう一度噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと気づいた時はすでに遅かった。

これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。左右の足を交(かわ)る交(がわ)るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事が出来た。

こうしていると何だか猫でないような感じがする。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。

家のものが集まり、みんな申し 合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。

年賀状

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元朝早々主人の許(もと)へ一枚の絵端書(えはがき)が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑(ふかみど)りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞(うずくま)っているところをパステルで書いてある。

主人はうまい色だなと一応感服したものの横から見たり、竪から見たり、あげくは小さな声で一体何をかいたのだろうと云(い)う。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。

そんなに分らぬかと思いながら、見ると吾輩の肖像ではないか。

このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。しかし人間というものは到底吾輩猫属の言語を解し得るくらいに天の恵に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。・・・

蝉とり

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吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、ちょいと筆に上(のぼ)りにくいのだが、猫の中にはネズミや蝶を好む者がいる。

蟷螂(かまきり)もむしゃむしゃ食ってしまうものもいる。ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまり旨(うま)い物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。

吾輩はといえば蝉取(せみと)りと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎(あぶらやろう)、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。

油蝉はしつこくて行(い)かん。みんみんは横風(おうふう)で困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。 これもついでだからおしいつくつくを食った事のない人に話しておくが、生食が嫌なら茹でていただくのが良い、さらに揚げると香ばしさとうまみが増す。

きび団子

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この頃、吾輩は幸い人間に知己が出来たのでさほど退屈とも思わぬ。この間は岡山の名産吉備団子(きびだんご)をわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人がある。

だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、己が猫である事はようやく忘却してくる。

猫よりはいつの間にか人間の方へ接近して来たような心持になって、同族を糾合(きゅうごう)して二本足の先生と雌雄を決しようなどと云(い)う量見は昨今のところ毛頭ない。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしい。

ただそのくらいな見識を有している吾輩をやはり一般猫児(びょうじ)の毛の生(は)えたものくらいに思って、主人が吾輩に一言の挨拶もなく、吉備団子をわが物顔に喰い尽したのは残念の次第である。

これも不平と云えば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然異(こと)なるのは致し方もあるまい。

このきび団子は内田百閒が夏目漱石に実際に贈ったものを作品に取り入れたということです。

気持ちのいい寝床

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吾輩は朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝(ひざ)の上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中に乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。

その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃(めしびつ)の上、夜は炬燵(こたつ)の上、天気のよい昼は椽側(えんがわ)へ寝る事とした。

しかし一番心持の好いのは夜(よ)に入(い)ってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入(はい)って一間(ひとま)へ寝る。

吾輩はいつでも彼等の中間に己(おの)れを容(い)るべき余地を見出(みいだ)してどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼を醒(さ)ますが最後大変な事になる。

小供は――ことに小さい方が質(たち)がわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。

猫語辞典

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「おい、その猫の頭をちょっと撲(ぶ)って見ろ」と主人は突然細君に請求した。「撲てば、どうするんですか」 「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」 こうですかと細君は平手で吾輩の頭をちょっと敲(たた)く。痛くも何ともない。「鳴かんじゃないか」「ええ」「もう一返(ぺん)やって見ろ」 「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかと参(まい)る。やはり何ともないから、じっとしていた。

これを繰り返すうちに智慮深き吾輩は理解した。先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。

にゃーと注文通り鳴いてやった。すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。・・・・・・ 「そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。・・・・・・

希臘(ギリシャ)語のお勉強

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吾輩の主人は酔っぱらうと突然訳が分からなくなる。ある晩、細君相手に・・・「御前世界で一番長い字を知ってるか」 「ええ、前(さき)の関白太政大臣でしょう」 「それは名前だ。長い字を知ってるか」「字って横文字ですか」「うん」「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」 「ええ。そうしたら御飯ですよ」

「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」「出鱈目(でたらめ)でしょう」 「出鱈目なものか、希臘語だ」「何という字なの、日本語にすれば」

「意味はしらん。ただ綴(つづ)りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」

吾輩の研究によれば、これはアリストパネスの喜劇『蜂』二二〇行にある形容詞で、「シドン人が歌う、プリュニコスの古歌のように愛らしい」くらいの意味であろう。吾輩は理解できても残念なことに主人に教えてやる術(すべ)がない。

虎になる夢

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ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側(えんがわ)へ出て午睡(ひるね)をして虎になった夢を見ていた。

主人に鶏肉(けいにく)を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。 吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべっていると、たちまち家中(うちじゅう)に響く大きな声がしてせっかくの鶏肉も食わぬ間(ま)に夢がさめて吾に帰った。

すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架(こうか)から飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほど蹴(け)たから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて駆けて出る。

この吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極(きま)りが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出馬して敵と交戦するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後(あと)を慕って裏口へ出た。

ビールを試そう

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ビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。・・・・・・猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。陽気になりすぎて水に落ちても良いようにライフジャケット着用じゃ。

思い切って、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても無理。どうしても猫とビールは性が合わない。

これは大変だと一度は出した舌を引込めて見たが、また考え直した。もし前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲(もう)け者(もの)で、近所の猫へ教えてやってもいい。

まあどうなるか、運を天に任せてまたぴちゃぴちゃ始めた。我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始め舌がぴりぴりして、口中が圧迫されるようだったのが、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。

もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのまで腹内に収めた。

ビールはたまらん

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吾輩、ビールが好きじゃ。でも最初から好きだったわけではない。最初は何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。

人間は何の酔興(すいきょう)でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れないと思った。

けれども、慣れてみるとからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。・・・・・・・

今日も下女のおさんの目をかすめてサンマをいただいた。これを肴に飲むのが最高じゃ。

足をいい加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寝ているのだか、あるいてるのだか判然しない。何とも気持ちが良い。

しかし、歩いているとぼちゃんと音がして、はっと云ううち、水の上に浮いているってことが起こる。

吾輩は水が苦手じゃ。ビールは好きだが命を懸けるっていうのは困る。

そこで、飲むときにはこのようにライフジャケットを着るのじゃ。転ばぬ先の杖、ビールの前のライフジャケット。

吾輩は原作では酔っぱらって水に落ちて死ぬんだが、これで安心じゃ。

他にも「文学猫」作品として「藪のニャカ」を出していますが、それらは別の機会に。

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