古事記の土鈴
今年(2012年)は、和銅5年(712)に『古事記』が撰上されてから、ちょうど1300年目の年に当たります。
6月には大和郡山市の「賣太神社(売太神社)」の土鈴を紹介しましたが、今月は続いて新作の古事記土鈴を取り上げてみました。
『古事記』は、日本の建国の由来と、推古天皇までの歴代天皇のことを記した書物で、まとまった分量をもつものとしては日本最古の文献です。
現存の古事記写本は本になっていますが、天皇に献上された当初は巻物であったと考えられます。この土鈴はその巻物の形を表現しました。
すべて備中張り子倶楽部の海老天たまこ2012年8月作品です。
『古事記』は上中下の3巻で構成されています。
上巻は神話(神の誕生~国土生成~天孫降臨)で国生み/神生み、天岩戸、ヤマタノオロチ、オオクニヌシの国譲、天孫降臨、日向3代等が含まれます。
天地の始まりの頃のお話です。
天神〔あまつかみ〕は、伊邪那岐〔イザナキ〕命と伊邪那美〔イザナミ〕命の二柱の神に、「この漂っている国土を整えて作り固めよ」と、天沼矛〔あめのぬぼこ〕を与えて命令した。 そこで、二柱の神は天浮橋〔あめのうきはし〕に立って、その沼矛を指し下ろして掻き回し、塩を「こをろこをろ」と掻き鳴らした。 そして引き上げると、その矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって嶋となった。これが淤能碁呂嶋〔おのごろしま〕である。
島の部分は張子で作られています。土鈴と張子のコラボレーションが楽しいです。
『古事記』の中でも有名なものは天岩戸のお話でしょう。須佐之男命の行動に怒って、天岩戸に引き篭ってしまった天照大神を引き出そうと天宇受賣命が岩戸の前で踊った。 そのの賑やかさにひかれ天照大神が岩戸を少し開けたところを隠れていた手力雄神に引きずり出された。そんな一場面を土鈴で表現しました。
天宇受賣命の足は張子で作られています。ゆらゆら揺れる天宇受賣命の素足が少し色っぽいです。
背面
須佐之男命〔スサノヲノミコト〕の大蛇退治のお話です。
八俣遠呂智〔ヤマタノオロチ〕は8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生えた巨大な怪物で毎年娘を食べに来ました。 8人姉妹の最後に残った櫛名田比売〔クシナダヒメ〕を妻としてもらいうけることを条件に、八俣遠呂智退治を請け負った須佐之男命はオロチを酒で酔わせて切り刻んで退治しました。
オロチの一つの頭は張子で作りました。土鈴と張子のコラボレーションをお楽しみください。
出雲の昔話としても知られる「因幡の白兎」です。
兎が鰐鮫を騙して隠岐島から因幡の浜へ並ばせ、その背を飛んで行ったけど、最後に嘘がばれて、皮を剥がされました。皮を剥がされた兎は大国主命の兄達(八十神)に出会い、治療のため「塩水で冷やす様に」と云われ、よけいにひどい状態になりました。 そこに大国主命がやって来て「水で体を洗い、蒲を敷き散らした上を転げまわれば良い」と言って助けたというお話です。その場面が土鈴になりました。
兎の部分は張子で作られています。
中巻は神武天皇~応神天皇の時代です。
神武天皇の東遷、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の東国征討等が含まれます。
側面
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し うるわし」という有名な国偲歌を残して三重の能煩野で亡くなったヤマトタケルの霊は大白鳥になって飛び立ったのです。 飛んで行った先は羽曳野の古市古墳群のひとつの白鳥陵とされています。
この土鈴では伊勢国能褒野の陵から河内国志幾の陵に向かう白鳥を表現しました。
白鳥の部分は張子で作られています。
下巻は仁徳天皇~推古天皇の時代です。
巨大古墳で有名な仁徳天皇や履中天皇の時代から聖徳太子の活躍した時代です。 ただし、古事記の中での聖徳太子は用明天皇の御子として「上宮之厩戸豊聡耳命」の名前が書かれているだけですが。
第21代雄略〔ゆうりゃく〕天皇は、即位後も強大な権力を行使し、豪族の立派な屋敷に激怒して火をつけようとしました。驚いた豪族は、「謝罪のための献上品を差し上げましょう」と申し上げ、白い犬に布を着せ、鈴をつけて、犬の綱を一族の人に持たせて献上した。そのため、雄略天皇は屋敷に火をつけさせるのを止めさせた。 古事記シリーズの土鈴を作るにあたって、「鈴」の登場するお話としてこの場面を取り上げました。
巻物の部分が土鈴になっていますが犬に付けられた小さな鈴も土鈴です。