海龍王寺より東へ、陸橋を渡ると左手に参道が続く。しかし、私は下の地図にあるようにウワナベ古墳側から来る道の方が好き。
上のスタンプは平城天皇の紋をベースに作られています。平城天皇は、平安遷都ののち平城京をなつかしみ、上皇として都を再び平城京に戻すことを画策されたが成功せず、都を逃れてこの地に萱御所を営みました。上皇の崩御後は、皇子阿保親王と在原業平が後を引き縦ぎ、承和14年(847)に在原業平が自ら聖観音像を刻んで開基したとされるので別名『業平寺』とも呼ばれています。
南門の四脚門〔重文〕は、鎌倉末期の建築で、本堂は大仏様式の最後の形を保ち、室町時代の建築とされています。堂内にある本尊木造聖観音立像〔重文・業平観音〕は業平の作と伝えられ、藤原時代前期の一木造、彩 色の像です。
道標 |
本堂 |
御朱印 |
厄除け土鈴 |
地図上が東 |
石棺 |
佐保路まだまだ東に続きます。 |
この石棺はウワナベ古墳南側の平塚古墳(現在24号線バイパス)から発掘されたもので石材は砂岩の一種。草刈の人がこれで鎌を研いだ痕が沢山残っている。長さは2.7mで舟形割り竹刳り貫き石棺ともいう。
もっと詳しくは 不退寺のホームページ http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/へ
無断リンク禁止のためURLを示しました。