最古の寺といわれ、飛鳥四大寺の一つに数えられていた法興寺(飛鳥寺)がルーツ。平城宮遷都にともなってこの地に移転して建立。学問寺として数々の名僧を生み、金堂や講堂、鐘堂などが建ち並ぶ大伽藍を誇っていた。
今は極楽坊と呼ばれ鎌倉時代に建てられた本堂と禅室(共に国宝)、
すぐ南に塔跡を伝える元興寺、小塔があったという小塔院がある。
元興寺極楽坊は、元興寺創建のころ、当寺に住した三輪宗の僧智光が、晩年浄土信仰に心を寄せ、僧坊に極楽曼陀羅を安置したのが起こり。奈良町の中にあり民家に囲まれているが、行基葺きと呼ぶ特殊な葺き方をした屋根をもつ本堂(国宝)、天平の僧房の様式を伝える禅室(国宝)、浄土三曼荼羅のひとつで中世庶民信仰を伝える智光曼荼羅(ちこうまんだら・重文)、本尊阿弥陀如来坐像(重文)ほか寺宝は多い。
境内の元興寺総合収蔵庫には元興寺大塔のヒナ型といわれる五重小塔(国宝)他、境内諸堂の解体修理の際発見された膨大な量の仏教民俗資料(重要有形民俗文化財)や重要文化財・県文化財指定の寺宝類が多数収蔵展示されている。
御朱印 智光曼陀羅
奈良町を上から眺める
中央少し右の大きな屋根が極楽坊本堂。
「福かえる」土鈴境内、本堂の北側に珍しい「蛙石」がある、必ず「かえる」ということで旅行の安全祈願がされるという。 |
家内安全の厄除け部屋の出来るだけ高い所に置くとご利益があります。 |
僧房の屋根を近くから見る機会があったので招き猫土鈴を遊ばせてみました。
僧房の屋根を地上から見るとこんな感じです。
節分の豆まきです。しかまろくんも登場しました。
2020年2月3日
彼岸花です。
2005年10月2日
聖徳太子像の土鈴です。元興寺は「聖徳太子四十六ヶ伽藍之随一也」とする考えがあって極楽坊は太子信仰の拠点でした。
「南都八大寺仏さま巡り」の組土鈴の一つとして作成しました。
2020年5月 カらコロや作成
地元の元興寺郵便局の風景印です。
図案に聖徳太子立像が描かれています。
奈良時代には栄えた元興寺でしたが、平安時代に入ると国からの財政援助がなくなり徐々に衰えていきました。 それでも鎌倉時代には極楽坊が改築されるなど、まだ多くの信仰を集めていました。 しかし、戦国時代も終わりに近づいたころには元興寺伽藍内に町ができ、これが現在の奈良町につながります。
元興神(がごぜ)泥面子です。
海老天たまこ作
元興神は元興寺に出没したと伝わる鬼です。
土鈴もあります。
江戸末期の安政6年(1859)の火事によって失われるまで五重の大塔がここに建っていました。
この塔の規模は6間四方、高サ24丈というから一辺9.65m総高72.7mとなり、超大型塔であったようです。
現存の塔で言えば東寺の五重塔の高さが54.8mですから約1.3倍、 また、7重の塔であった大安寺の塔と同じくらいの高さだったということです。
ところで江戸末期まで残っていたこの塔は元興神の住処だったそうです。