近鉄・京都地下鉄の竹田駅西側には現近衛天皇陵、現鳥羽天皇陵、現白河天皇陵の3つがかたまっています。一番線路に近いこの近衛天皇陵は多宝塔があり、電車からも見えるのですがお寺だとおもっても天皇陵だと判る人はほとんどいないのではないでしょうか?
私のホームページは『巨大古墳見てある記』ということで古代の前方後円墳を見て回ることから始めたのですがこんな脇道にも入ってきてしまいました。
現・元明天皇陵、現・元正天皇陵のように奈良時代に取り入れられた薄葬の思想が広まり平安時代初期の淳和天皇に至っては遺言で、遺骨は大原野の西の峰の上でまかれ、御陵はその地の小塩山に定められました。それではあんまりだとということで、寺の堂塔内に納めるかたちに変化していった一例がこの現近衛天皇陵と言えます。
尚、近世には現近衛天皇陵は鳥羽天皇陵と考えられていたようです。
| 陵印 現代 |  陵印 昭和15年11月 | 正面 | 制札 | 
|  戦前の写真 | 多宝塔(新御塔) 近衛天皇の母・美福門院藤原得子によって 建立され、豊臣秀頼によって再建されたもの | 安楽壽院の桜 桜の季節。近くにはこんな景色も。 | 
 第七十五代 崇徳
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 第七十七代 後白河
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  天皇陵
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