上田城は、天正11年(1583)真田昌幸が築いた平城で、松尾城、尼ケ淵城などとも呼ばれています。 別名「尼ケ淵城」というのは、以前、千曲川の流れの一つが、この城のすぐ下に”尼が淵”という深い淵をつくっていたことによります。 天下分け目の関ヶ原の戦い、その時、真田昌幸,幸村親子は、この城に立てこもり徳川秀忠軍3万8千の兵を1週間近く釘付けにしたことで有名です。 そのため徳川秀忠は関ヶ原の戦いに間に合わず家康より叱責をうける事になりました。