春日宮天皇とは、天智天皇の第七皇子の志貴皇子(?〜716/万葉集ではその前年)のことですが、実際に即位した訳ではなく、その死後に息子である白壁王(しらかべのおおきみ 709〜780)が光仁天皇として即位したために、その名前が諡(おくりな)されました。また、田原天皇とも称されます。
壬申の乱後は、政治から意図的に遠ざかったので歴史上では重要性をあまり認められない人のようですが、万葉集に残された歌(志貴皇子の歌は、万葉集の中に全部で6首見えます)が、実際に時代を生きた人としての姿を浮かび上がらせてくれています。
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも
釆女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたずらに吹く
葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ
皇子の邸宅があった辺りと言われる白亳寺の方から県道・奈良名張線の上り坂を延々のぼってきてようやく平地になってしばらくのところにこの御陵があります。勿論、ここに志貴皇子が眠っているかは、後世になってから決められた事ゆえに疑わしいですが山間で人家も近くにはなく、閑散なのどかな処です。
陵印 | 参道。 | 看板です |
正面 |
万葉歌碑 石ばしる垂水の上の・・・ 万葉集巻8−1418 |
周辺には茶畑が広がります。 田原の里は大和茶の産地です。 |
s17.04.01 |
春日宮天皇妃 皇太后(第49代光仁天皇の母) 紀橡姫(きのとちひめ) 吉隠(よなばり)陵の陵印 |