京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
山城国 紀伊郡
第50代桓武天皇の陵とされています。桓武天皇御代のエピソードとして有名なのは「平安京遷都」です。794年に遷都を行ない、国名も「山背」から「山城」に変更され、この時から1000年におよぶ京の都が始まった。平安京は唐の長安を手本にし、唐からの風水思想を元に都が設計されたとされている。
平安時代には清少納言が枕草子に「みささぎは、うくひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。」と2番目に挙げたほど有名なものであったが、しだいに忘れられ、桓武天皇陵がこの地に定められたのは江戸時代末。今はこの地はあまり信憑性が無いと考えられている。
異称、柏原天皇。
陵印 |
陵印 昭和15年(1940年)11月 |
制札 |
正面 |
正面 戦前の写真 |
参道 正面に伏見桃山城が見える。 |
伏見桃山城のあるキャッスルランドは2003年1月に経営母体である近鉄のリストラの一環として閉園しましたが、伏見桃山城は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることとなり、取り壊しを免れました。 |
伏見桃山城 遊園地を併設した観光施設です。 |
陵印 夫人贈皇太后 旅子 宇波多陵 昭和17年(1942年)3月 |
陵墓印 皇子 伊豫親王 巨幡墓 昭和16年 |
陵墓印 皇后 乙牟漏 高畠陵 昭和17年 |
陵墓印 御母 皇太后新笠 大枝陵 昭和17年 |
京都市伏見区桃山町遠山 黄金塚2号墳 古墳時代中期 桃山丘陵に存在する唯一の推定全長120mの前方後円墳といわれている、前方部が破壊されてしまっており後円部の一部が、伊豫親王墓巨幡陵に比定されている |
京都府向日市 皇后、藤原乙牟漏(ふじわら の おとむろ) 高畠陵は長岡陵ともいわれる |
京都市西京区 光仁天皇の側妾、後に大夫人。 正式には高野朝臣新笠(たかののあそみにいがさ) |